2008-01-01から1年間の記事一覧

東浩紀 著  波状原論 のコピー版をなんとか手に取ることができた。

東氏の”動物化”という事が、今ひとつハッキリとイメージしにくかったのだが、この号外には大学での講演が掲載されており、そこで、 ”アメリカ型の消費社会である。つまり、大量のモノに囲まれている、そのモノをただ貧欲に消費していくだけ、しかし、そこに…

コミック・マーケットなるものに初めて行った!

コミケ、正確にはコミック・マーケットらしいのだが、これがナゾの2次創作の販売という事になるらしい。 会場には人がごった返しており、どのブースに何が販売されているのか、とても探せる状態ではないのが残念だった。僕に根性が足り無かったのかも知れな…

 哂う日本のナショナリズム  北田暁大 著

本書では、学者のアレクサンドル・コジューブという方が、日本のナショナリズムの特徴として、”無意味ともみえる形式の反復に興じる日本的スノッブの存在を指摘し、否定する必然性のないものを、あえて否定してみせることによって、擬似的な(弁証法的」では…

資本主義のパラドックス   大澤真幸 著

1991年の著作であるらしいので、もう随分と昔の事になる。 資本主義の定義では、貨幣、生産手段、商品という3つの形態をとり、市場における”利潤の極大化”を志向する商品生産のためにそれらを組織する社会的な力の事ということになるらしい。大澤氏は、そう…

"歴史の<はじまり>  大澤真幸、北田暁大氏の対談集。

柄谷氏の”近代文学のおわり”という著作が、気になっていたので、この新しい書籍を読んで見た。 宮台氏などが、市場原理などの事で、市場で立ち行かなくなった人は、速やかに市場から”退場”すべきだ!とよく述べておられたので、もはや僕のような老兵はその場…

濱野智史という方の著作。

2チャンネル、ミクシィ、ニコニコ動画、などの事が主に語られていた。 自分の場合、宇野常寛氏が”ゼロ年代の想像力”で述べられていたような、凄まじい量のコンテンツや、DVDなどの映像に、どっぷりと浸かりすぎていた為か、本書で取り上げられているアー…

女性作家、笙野頼子女史の檄文であった。

柄谷行人氏の”近代文学の終わり”という声明に対して、なんとか反論するような論文は無いものかと、色々探してみたら、笙野女史の著作を読んでしまった。他に、反論らしきものが見当たらなかったのです。 読んで見て、そのあまりの激しさに、吃驚仰天してしま…

宇野常寛氏の評論。

東氏の”プレイヤーの視点”としての私とういうのが、かなり有名になったようだが、しかし、その視点で具体的にに、どうするの? という疑問が浮かんだりするのだが、 宇野氏はその東氏の”プレイヤーの視点”を受けるようにして、 これから”決断主義的動員ゲー…

キャラクターメーカー、ストーリーメーカー、大塚英志氏の著書。

著者は、神話や民話の構造分析を元にしておられるようだ。 ここでは、ハリウッドばりに、物語を、大胆にオートメーション化しようとしておられるのだが、僕の頭が悪いせいか、物語の展開に立てられる”項目”が、あまりにも多く、シッチャカメッチャカになって…

柄谷行人氏の評論。

文学の終わりと聞いて、かなりショックを受けるが、あらためて科学的に考えて見ることにした。 ”科学的共産主義”の思想では、小説などという退廃的なものは、そもそも必要は無く、すべての小説が”ルポルタージュ”になるべきであって、小説を読むより、新聞を…

中俣暁生氏の評論。

村上龍と村上春樹のこの二人の存在は、圧倒的に大きいと思われるが、この二人に共通しているのが、 ”アメリカ文化の圧倒的な影響力のもとで育った最初の世代” だったという事であると著者は説明しておられる。 村上龍氏は、”日本の近代文学は終わった”とよく…

NTTコミュニュケーション科学基礎研究所、という方たちの研究の紹介になっていた。

少し僕には難しく、研究の細かなところには、ほとんどついていけなかった。 僕個人としては、”人工知能と対話”がしたいという願望があります。 基本的に今現在あるのは、お風呂が沸いたとき、お湯が沸きましたと女性の声で知らせるアレである。 それが、コン…

田中ロミオ氏という方の著作。

ただの明るい学園コメディかと思っていたが、意外と悲壮感漂う、少し深刻な話になっているのに、少したじろいだ。 古臭い僕の物差しでは、学生さんが、”自由”というものを求めて、学校権力に抵抗するといった、古めかしい図式に読めてしまい、少し痛々しかっ…

東浩紀氏と大塚英志の対談であった。

”キャラクター”としての”成りきり”と仰った大塚氏と、 ”プレイヤーの視点”と仰った東氏と、頭の中にインプットされていたのだが、 ”成りきり”の私だけでも、かなり大胆な物言いなのに、プレイヤーの私とまで仰る東氏が、どうして、見解の相違があるのか、も…

ドナルド・バーセルミ氏の1974年頃の作品らしい。

”断片のコラージュ”という手法で有名らしいのだが、読んでみて、今ひとつ理解できない。 短編集であるから、それぞれの短編が一つにまとめられて一つの作品になっていると、理解されそうだが、バーセルミ氏の場合、一つの短編が既に”断片のコラージュ”で出来…

本田透という方の著書であった。

現実の恋愛でなく、2次元の世界の恋愛に生きるという事の宣言書になっていた。 実際に、2次元の女の子と結婚しているというので、気になって読んでしまった。 所謂、大きな常識としては、2次元に生きるなどとは、あきらかに間違っているという考え方が多数だ…

速水健朗という方の、評論であった。

僕の幼稚な読解力では、ケータイ小説など読んでいると、かつての暴走族のような、不良になつてしまうぞ!とういうような分析に読めてしまった。それに恐れおののくオタク達といった図式ができあがっているとも理解された。 なぜ、レディースや、暴走族になっ…

精神科医の北山修氏の著書であった。

いわゆる、幼児の”トイレット・トレーニング”の事として、話題になった論文であるらしい。 ウンコする事が何故そんなに大事な事なんだと、軽蔑されそうだが、加齢のせいか、この排便があるか無いかですでに、命に関わるような重大な事になっている自分が悲し…

氷室洸氏という方のポルノ小説であった。

いくらポルノ、官能小説と言っても、女王様プレイの猥褻小説は無いであろうと思ったが、意外にも存在していたようだ。しかし、時すでに遅く、出版社のレーベルは既に無くなっていた。好評だったのか、不評だったのかは解らない。残念! 多くの官能小説は、ス…

宇能鴻一郎氏の1992年頃の、完全なポルノ小説だった。

”あたし、・・・・です。”といった調子の、女の子の”モノローグ”で、全編ポルノが描かれているので、有名であったらしい。さしずめ、ジョイスのブルーム夫人のモノローグを全編ポルノ作法に決定して、厖大な量産体制に入っていったようだ。 宇能氏の作品は、…

”ノウ”ァ急報”というバロウズ氏の小説であった。

出版社の当時の狙いは、あくまで、バロウズ氏の出来るだけシュッキングな体験記、スキャンダラスな自伝にあったとの事で、であるから、バロウズの芸術的技法などどうでも良かったらしく、バロウズの文学的実験には、随分失望したとの事であった。 そこで、バ…

アメリカの作家、クーウ”ァーという作家の方の作品。

SM小説という、ポルノ小説のジャンルを借りて、小説の実験がなされたようだ。 内容としては、少しボケたような老人が、ただひたすら、女中のお尻を鞭で叩くというもので、無内容というえば無内容だが、そのスパンキングの場面は、イヤラシイというより、いさ…

東浩紀氏と桜坂洋氏の共同での小説であったらしい。

桜坂氏が、この小説でどのように関わっているのか、推測できなかった。 東氏の、理屈を捏ね回したような文章と、語り口が面白かった。 この小説だと、”文学界”という所、”出版社”という所が、いかに政治的で、権力の権化のような世界であるかという、呪詛の…

イーガン氏という方のアメリカの作品であった。

コンピューターデザイナーの女性に、コンピューター内に生きる人工生命を作らせる話であったと思われる。 その人工生命は、不死であり、こちら側の世界での記憶と意識をそのまま持っているというから、大胆だった。 基本的に、コピーとして生きる事であり、…

思想地図

なんだこの右翼雑誌は?と、一瞬目を疑ってしまった。 それで、良く表紙を眺めてみると、”日本”の特集となっていた。 それでは、当たり前なのかもしれないが、やたら、右翼とか、天皇、とか、朝鮮、中国とかの語が飛び交うとショックを感じてしまった。常日…

バロウズと文章をカットするという事

アメリカの作家、バロウズ氏の作品。 ”カット・アップ”と”フォールドイン”という手法が有名らしい。 実際、読んでみた感じでは、いわゆる、長い内面描写や、説明の文章が書かれるべきところを、文章をセンテンスごとに”切断”し、"編集”するという事になって…

無政府主義的奇跡の宇宙 トマス・ピンチョン

トマス・ピンチョンについて考察された著書であった。 いわゆる思想的には、国の施策からも外れてしまったような、”見捨てられた者”達、””周辺”に追いやられてしまった者達、に光が当たる奇跡的瞬間、周辺的なものと、内側にいるものとのが、入れ違いににな…

トマス ピンチョン 重力の虹

謎のアメリカの作家、トマス・ピンチョンの作品。 形式的には、”映画的なフラッシュ・バックを応用した全編73個の断続的なシーン、エピソード、チャプター(章)を自在につなぎ合わせて描かれた形になっているとのこと。 テクストのたゆまぬ断片化・再統合か…

キマイラ  ジョン・バース

ジョン・バースというアメリカの方の作品。 1980年の翻訳となっていた。 バース氏の作品は、どれも、何を馬鹿な事を言い出すのだといった衝撃をうけるが、意味や脈絡を踏み外しそうなギリギリの一点で、踏みとどまっているような驚きがある。どうして、こん…

あたしの中の・・・・・新井素子

新井素子女史の17歳の時のデビュー作であったらしい。 1978年頃であるから、もう随分と昔の事になる。 ウィキペディアによると、同時代の口語表現を積極的に取り入れた特異な文体が注目され、「新口語体」と呼ばれたとの事。 新しい世代の言語感覚による文章…