東浩紀 著  波状原論 のコピー版をなんとか手に取ることができた。

osamuoh2008-12-31




東氏の”動物化”という事が、今ひとつハッキリとイメージしにくかったのだが、この号外には大学での講演が掲載されており、そこで、


アメリカ型の消費社会である。つまり、大量のモノに囲まれている、そのモノをただ貧欲に消費していくだけ、しかし、そこにはなにも闘争がない、エサに囲まれた家畜がどんどん食べていくように、ひとはコカコーラを買い、車を買い、洋服を買い替え、そうやって、ただひたすら拡大していく消費社会的な生がある。”


上記のような状態が”動物化”した状態と説明しておられた。



スノビズム、戯れの感覚が消えていく、その過程を”動物化”と呼ぶと著者は言っておられる。この新しい消費者像は、決して超近代的な、虚構と戯れることができる強い人間ではなく、むしろ、もっと弱く、管理されやすい、受動的な存在であるはずであり、そしてそれがぼくたちのいまの生の特徴のはずです。と語られておられたようだ。


著者の論理の中では、オタクたちの受動性とか動物性こそが、むしろ希望をはらんでいるという話になります、とのことであった。



どのような、希望をはらんでいるのか、年寄りの僕には、あまりイメージしにくいのだが、それでも”ほんのちょっとくらい、気取りたい!”というのが、お金も無いのに僕の本音です。


スノビズムというのは、ほんとは身分卑しき者が、貴族の振りをする事らしいので、すぐに、化けの皮が剥がれてしまうのは真実ですが、プルーストもマドレーヌというカステラのようなものを紅茶に浸して食べたというだけで、あれだけ厖大な、気取りを表現したのであるから、ちょっとくらいならいいのではないか、と思うのですが、何故か、この”ほんの少し”、”プチ”である事は、精神医学の世界では、非常に危険なことであるらしく、多くの社会学者が警告を発しておられる状態であるらしい。何故危険なのかは、くわしく調べていないのでよく解らないが、あるもどかしさを感じた。