"歴史の<はじまり>  大澤真幸、北田暁大氏の対談集。

osamuoh2008-12-01



柄谷氏の”近代文学のおわり”という著作が、気になっていたので、この新しい書籍を読んで見た。


宮台氏などが、市場原理などの事で、市場で立ち行かなくなった人は、速やかに市場から”退場”すべきだ!とよく述べておられたので、もはや僕のような老兵はその場から立ち去るのみかもしれないと考えていたのだが、本書の、”はじまり”と考える思考性に興味を持って、読んでしまった。


”はじまり”か”終わり”かの問題で、僕が非常に"痒いところ”と感じるのは、映画”ALWAYS三丁目の夕日”などにみられる、古い時代の事をえがいた作品や、コンテンツなどの事です。それらと関連して、社会学でよく用いられる”ナショナリズム”といったあたりの問題のことなどが、非常に、痒いと感じられてしまうのです。


本著では、懐古趣味ブームはくだらないというふうに斬るのは簡単ですが、なぜか昭和に記憶のないはずの若者たちも巻き込んでしまっている。なのでそれを単純に懐古趣味というわけにもいかない。まさしく歴史なき時代における「歴史のはじまり」、死産される原風景という感じがする・・・・・


と述べておられる。


歴史は終わっていなどいない。特定の定義にもとづく歴史が終わっただけのことだ。今私たちがなすべきことは、ヘーゲル的な定義における歴史概念そのものを解体し、何を考えるべきかを考え、「歴史をはじめる」ことなのではないか。


と述べておられる。


唯のノスタルジーや、姑息なナショナリズムを心の奥底で、支えとしたという気持ちは、ポスト・モダンに逆行しているようで、頭を抱え込んでしまうが、それは、”破壊”したいという欲望と、再構築したいという矛盾する気持ちが僕のような者にもあるからです。


しかし、若者にとっては、年寄りは、やはり邪魔であろうなとも、素朴に思う。