中俣暁生氏の評論。
村上龍と村上春樹のこの二人の存在は、圧倒的に大きいと思われるが、この二人に共通しているのが、
”アメリカ文化の圧倒的な影響力のもとで育った最初の世代”
だったという事であると著者は説明しておられる。
村上龍氏は、”日本の近代文学は終わった”とよく発言しておられるらしい。
”ポップ文学”とか”J文学”とか言っているうちに、日本の近代文学は終わったと云われると、どうも釈然としない。
アメリカや、欧州で、自国の近代文学が終わったという事も、云われているのだろうか?
何か、日本に特有の現象のように思われて仕方ない。
こんな、古い言葉をもちだしても仕方無いが、温故知新とか、換骨奪胎とかいうふうな言葉は、もう通用しないのだろうか?
何故か、この”終わり”という言葉が、気になって仕方なかった。