2007-01-01から1年間の記事一覧
大江健三郎氏が、”作者の読書行為や、生活行為における精神的な軌跡を丹念に描く” という点をどうしても理解できず、気になってしょうがなかったのだが、ここで、”パロディ”という言葉を思い出した。 大江氏は、いわゆる日本の典型的なな”私小説”の手法をパ…
大江健三郎氏の最新作であった。 今回は、私という人称で描かれていた。 大江氏の作品は、一人称で書こうと、登場人物で描かれようと、等身大の作者とほぼ同一であるかのような印象を受け、困る。作者の読書行為や、生活行為における精神的な軌跡が丹念に描…
トマス・ピンチョンというアメリカの方の短編集。 1988年頃翻訳されたようだ。 ピンチョン氏は、徹底的にナゾの人物とされており、彼を写した写真が一枚も残っていないので、どんな風貌の人物かナゾになってしまっている。出版社の人が写真を写しにきたら、…
ジョン・バース氏の1958年頃発表された小説。 形式的には、以外にごく普通の一人称小説のスタイルのように思われた。 内容としては、一応、大人の恋愛の性的問題の事のように思われた。 主人公は、ショックで、身体が硬直状態になってしまったようだ。 一応…
三島賞を受賞した、佐藤友哉氏の2005年頃の作品。 社会的には、”幼児虐待””ネグレスト”がテーマになっていると言えそうだが、まさに、幼児が殺し、殺される非常に残虐な世界が描かれていた。 コンピュータや、ゲーム、の世界では、一応、”少年少女”が、本来…
ジョン・バースという、アメリカの作家の方の作品。 ヘミングウェイ風に、ヨットで海に旅行する、中年夫婦の話という感じであった。 気が付いてみると、我々、彼、彼女、私、登場人物の名前が、いつも、同時に使用されて著述されていた。しかし、決して解り…
ドナルド・バーセルミの作品。 アーサー王と円卓の騎士達が、鎧兜に槍と剣で第二次世界大戦に参戦したような、イメージの内容になっていた。 相変わらず、キチンと、2〜3ページづつくらいで、キチンとストーリーが切断されている、断片(フラグメント)のコ…
ドナルド・バーセルミというアメリカの作家の方の作品。 解説による”メタフィクション”の定義によると、 ”所謂リアリズム小説的な登場人物、場面設定といった手法から距離を置き、視線を小説における言語そのものに向かわせる、小説についての小説” となって…
ドナルド・バーセルミというアメリカの作家の作品。 1967年頃の作品らしい。メタフィクションという形式の定義が、未だに良く解らない。 バーセルミ氏は、「断片だけがわたしの信頼する唯一の形式」と宣言しており、”断片派”(フラグメンティスト)と呼ばれ…
ドナルド・バーセルミという、アメリカの作家の方の作品。 1960年代のポストモダンと言われた作家の一人らしい。 メタフィクシヨンの作風として、有名であったらしい。 解説によると、 ”破片の断片のちぎれちぎれのかけらがばらばらにつながる関係との関連性…
佐藤友哉という若手の方の作品。 推理小説を書いておられたようだが、出版社の方からは、あまり良く売れないと、ハッパをかけられていたとの事。 問題の、1000の小説で、何度も、”近代文学”という言葉が使用されており、所謂、夏目漱石や、谷崎潤一郎、志賀…
アメリカのジョン・バースという方のエッセイ。1989年頃の作品。 1960年頃に、ポスト・モダンの代表的な作家として有名であったようだ。 "メタフィクション”という事がどういうことか、未だによく理解できないのだが、 一応、思想辞典で整理してみると、 ”リ…
清涼院流水という不思議な名前の方の推理小説だった。 1996年の作品なので、もう随分昔の作品になってしまったようだ。 作者の名前からして、コミカルな作風なのかと思っていたが、作品は、かなり暗い色調で、どちらかと言えば、ホラーのような恐怖小説のよ…
東浩紀氏の評論集であった。 何故、東氏は、アニメなどをみているのか、以前は、そのような素朴な疑問が気になってしょうがなかった。 理由などより、そいった事で、ハイになって、ブッ飛べればよいのだという、すごく乱暴な正論などもあり、色々考えていた…
ジョン バースというアメリカの作家の作品であった。 1982年頃翻訳されているようだ。当時から、メタフィクションという事の意味がよく解らず、途方の暮れていた。 今読んでみても、かなり解らない作品だ。幼稚な感想としては、まるで、知能に障害のある作者…
ウィリアム・バロウズの一番最初の作品であるというので、読んでみた。 解説によると、”ほとんど率直な自伝と言ってよいような書き方で、セミ・ドキュメンタリー的な、事実に即した体験記風の小説として書かれている。非情透徹な乾いた文体で、描き出してい…
18世紀の作品で、ロレンス・スターンという作者の、英国の作品。 とにかく、お話が、グニャグニャと迷走してばかりで、一向にお話が進まない。これは、ユーモアでもあるらしいが、しかし、これが、小説かと、驚かされる。18世紀も昔に、すでに。モダンな小…
大塚英志氏の”キャラクター小説の作り方”という人気のあった著作をもう一度再読してみた。 ”キャラクター”というと普通物語では、”登場人物”のことだが、大塚氏の興味深いところは、物語で使用される人称の”私”という視点的人物も、キャラクター化されうると…
大塚英志の著書。大塚氏のアニメを俯瞰した見地からすると、僕は、”巨人の星”と”あしたのジョー”の作品によって育った世代であり、そして何を隠そう、アニメの中では、宮崎駿と高畑勲氏の典型的なファンであると言う事が解った。なんのことはない、世間で有…
”パトリシア・ウォー”という方の1980年頃の論文の著作をもう一度読み返してみた。 メタフィクションの定義として、”フィクションとは何であるかを問題とする自意識的なフィクションの書法である。 要するに、作品中に作者が登場したり、逆に登場人物が作者を…
”由良君美”と言う方の論文であった。”メタフィクション”という言葉がよく使用されるのだが、よく考えてみると、その意味や定義が解らない。辞典で調べてみると一応、”フィクション批評を内在させたフィクション。 パロディーや異化効果を積極的に導入して、…
東浩紀氏の対談集であった。 東氏は、自然主義的な物語と、まんが、”アニメ、ゲーム的リアリズム”を分けて考えると解りやすいと述べておられる。 東氏によると、自然主義的リアリズムというものは、時間があり、「私」の物語を語るもので、 まんが、アニメ的…
東浩紀氏の評論集であった。 今回の評論は、かなり解りやすくエッセイ風に書かれてあったので、解りにくかったデリダとの関係性も、そういう事であったのかと、合点がいったような気がした。 著者は、純粋に、SFという未来志向のジャンルに、感性の欲望が…
ゴシック小説の定義は、Wikipedia によると、主流の文学と違って、ドラキュラ、フランケンシュタイン、エドガー・アラン・ポーの一連の恐怖小説を指して、ゴシック小説としている。 ちょと気になるのが、ポップ音楽の事で、主にゴシックの音楽としては、パン…
一般に、”ゴスロリ”という呼び方で少し前に話題になった、ファッションスタイルらしい。 しかし、これが妙に年寄りの僕の心の琴線に、精神のフェテシズムに、引っ掛かってしまった。 正式には、18世紀〜19世紀のゴシック様式をオシャレに取り込もうという事…
由貴香織里という方の伯爵カインシリーズ第5弾。”赤い羊の刻印”の下巻。 赤い羊の刻印 No2 鏡の中のエリザベス ATOGAKI から成っていた。 作中、女の子が、何々様と”様”をつけて呼ぶ場面が多くある。 ちょっとした、遊びのような感覚だが、年寄りの僕はあ…
由貴香織里女史の伯爵カインシリーズ第4弾。”赤い羊の刻印”という作品。 赤い羊の刻印 No1 ATOGAKIから成っていた。 主人公のカイン伯爵が、紅茶のようなものをのんでいるんだが、 作者によると、それは紅茶ではなく、”パール”という飲み物であるとの事。 温…
由貴香織里という方の、伯爵カインシリーズ第3弾の”カフカ”とういう作品。 カフカーKafuka 夏服のエリー ATOGAKI から成っていた。 なにが、カフカなのか、少し気になったが、あまり、文学のカフカとは関係が無い様で、おもに、猟奇殺人事件にまつわ…
由貴香織里という方の、カイン伯爵シリーズ第二弾の”少年の孵化する音”と言う作品であった。第一弾は、”忘れられたジュリエット”。 吊られた男 少年の孵化する音 誰がこまどり殺したの? 切り刻まれ食べられたミス・プディングの悲劇 捩れた童話 ATOGA…
由貴香織里という方の漫画であった。 忘れられたジュリエット 烙印のビビ 時間を止めた少年たち ダブル クレオ・ドレイファスの死 から成る。 年寄りの僕には、主人公の伯爵カインに、それほど凝ったキャラクター設定はされていないように思われた。 スタイ…