哂う日本のナショナリズム  北田暁大 著

osamuoh2008-12-11



本書では、学者のアレクサンドル・コジューブという方が、日本のナショナリズムの特徴として、

”無意味ともみえる形式の反復に興じる日本的スノッブの存在を指摘し、否定する必然性のないものを、あえて否定してみせることによって、擬似的な(弁証法的」ではない)歴史に戯れてみせる。生死とかかわりのないところで形式的に繰り出される否定を、様式的に洗練していく事、それがコジューブが日本に見出した”スノッブの精神”である。(茶道や能楽、華道がその典型とされる)、

と述べておられると説明されていた。


もう一つ、モダンの原理として、


モダンの原理というのは、とにかく自分で自分を乗り越えながら進んでいくということだから、古い自分をどんどん殺して、自己を更新していかなければならない。だから、神は死んだとか、あるいはOO主義は終わった、××主義も終わったとかいうことでどんどん動いていく。


と説明されていた。



北田氏は、本書では、ナショナリズムの”スノビズム純化”という見解を示しておられるようであった。



古いものを滅却、刷新しながら、ナショナリズムを志向するというのは、どこか矛盾しているように思われるが、北田氏は、それらをナショナリズムの”スノビズム純化”とういう運動ととらえておられるようであった。