宇野常寛氏の評論。

osamuoh2008-11-02



東氏の”プレイヤーの視点”としての私とういうのが、かなり有名になったようだが、しかし、その視点で具体的にに、どうするの? という疑問が浮かんだりするのだが、


宇野氏はその東氏の”プレイヤーの視点”を受けるようにして、


これから”決断主義的動員ゲーム=バトルロワイヤル”が始まるのです。とおっしゃっておられる。


まるでかつての”さあ、ゲームの始まりです”と述べて、少年による殺人事件が起こったのを思いだすが、”決断主義動員ゲーム=バトルロワイヤル”をこれから行うのだという著者の論旨のポイントは、かなり衝撃的だと思われた。



しかし、著者が例に取り上げておられる、一連の作品群が、かなりの確率で、こんな僕でも知っている作品が多く、著者はテレビドラマまでに言及されておられる。こんな凡庸な僕のようなな読者にはうれしい事だが、批評家としての宇野氏としては、あまりに通俗的、低俗的なものに言及しすぎると、非難されるのではと心配になるほどだ。批評家としては、”決断主義動員ゲーム=バトルロワイヤル”という論旨を、もっと抽象的に、哲学的に抽象したような論文にしたほうが、批評家としては得なのではと、余計な心配をしてしまった。