資本主義のパラドックス   大澤真幸 著

osamuoh2008-12-05


1991年の著作であるらしいので、もう随分と昔の事になる。


資本主義の定義では、貨幣、生産手段、商品という3つの形態をとり、市場における”利潤の極大化”を志向する商品生産のためにそれらを組織する社会的な力の事ということになるらしい。大澤氏は、そうした資本主義を金の錬金術に譬えて論考しておられる。


そこで、気になるのが、そうした社会構造で、”人間”がどうなるかという事なのだが、大澤氏は、


”自らの身体を異化させつつ、他者的な可能性を内部に併合する作用は、資本主義の原本的な「欲望」に属し、資本制が、このような身体に固有の”異化の欲望”を剥き出しにさせる、”


と述べておられる。


また、円のようにキッチリした資本の運動にたいして、人間は、”楕円”を志向すると論考しておられ、



”楕円とは、ある経験の(心的)領域が、それ自身の同一性の内部に隔たり(差異)を含んでいることの、形象化であり、楕円は、二つの焦点をもつため、単一的=同一的な領域として閉じることができず、それ自身の内部に分裂を孕んでしまう。楕円が形象化する経験とは、一つの経験であると同時に、自ら自身自身に対する差異すなわち他者を同時に含みこんでいるような経験なのである。”


と説明しておられた。


こうした、自己のなかに他者を含む欲望と、激しい”異化作用”の欲望が叶えられないような場合、人間は、身体も精神もボロボロになり、死を考えたりするのであろうと推測された。


この他、大澤氏は、ディズニーランドを例に、資本と人間の係わりについても、論考しておられた。