速水健朗という方の、評論であった。
僕の幼稚な読解力では、ケータイ小説など読んでいると、かつての暴走族のような、不良になつてしまうぞ!とういうような分析に読めてしまった。それに恐れおののくオタク達といった図式ができあがっているとも理解された。
なぜ、レディースや、暴走族になってしまうのか、今ひとつ合点がいかないのだが、驚異的な売れ行きを示した原因として、浜崎あゆみ、中森明菜、安室奈美恵、などの詩の持つイメージとの類似性をあげておられるのが、非常に興味深かった。彼女達は、みな不幸という陰を背負っていたのですね。目から鱗でした。
しかし、過激な不良になるというのは、何故だろう。浜崎あゆみ嬢のファンはそんなに過激なのだろうか?
いわゆる、おまえらは皆社会のクズだ!と叫んだ、フランスの大統領が思い浮かぶが、貧乏で社会性の無い人間は、やはりクズという常識という事であろうか。
しかし、現に、ケータイ電話を売っている企業は、まさに一流企業ばかりであり、とても、クリーンなCMなどを流しているのを観ていると、どこがどうして、そのような結論になるのか頭を抱え込んでしまう。