キャラクター小説

osamuoh2007-07-03

大塚英志氏の”キャラクター小説の作り方”という人気のあった著作をもう一度再読してみた。


”キャラクター”というと普通物語では、”登場人物”のことだが、大塚氏の興味深いところは、物語で使用される人称の”私”という視点的人物も、キャラクター化されうるという点に着目している点だ。


日本の近代文学の歴史では、作者がそのまま、イオコール”私”であり、作者の私生活をそのまま、”心境”、や”生活”の報告として書く事が、一番、真実であり、純粋であるといった、思想の歴史があり、昔よく問題にされていたようだ。

大塚氏の理論では、一応、全てのキャラクターとは架空の「私」であるべきだ、作者はキャラクターとしての「私」になりきりその「私」の視線から世界や出来事や自身の感情を「写生」するのだと主張されている。


なーんだ、ただの”なりきり”かと若い人達から軽蔑されそうだが、いくら”なりきった”ところで、なんの物語も生まれないのが、才能の無い僕にはショックだ。


何故、大塚氏と東浩紀氏が、最終的に、意見が分かれてしまったのか、僕などには悲しい事だが、いわゆるマンガ、アニメなどのことでは、大いに意見が一致しても、大塚氏は、どうしても、コンピューターや、ゲームに使用されているアニメには、のめり込む気がしないと言う事であるらしい。その点、東氏は、コンピュータや、ゲームの世界にどしどし分け入っていらっしゃる。僕のような唯の田吾作には、どちらの意見にも門外漢なのだが、何故か、そうした意見の食い違いが悲しい。


田吾作の僕はどうしたら良いのだろう。もうまるで問題外ですね!

残念!