2009-01-01から1年間の記事一覧
今更、60年代を振り返ってどうするのかと思われるが、僕のアメリカ文学は、ヘミングウェイ、とフォークナーまでがやっとで、それから先が、謎に包まれてしまっているので、少し興味を持ってしまった。 そもそも、アメリカの小説は、文学として扱われているの…
柴田氏が、主にアメリカ現代文学を訳している方なので、アメリカ文学を中心に、対談がなされていた。 僕個人の嗜好では、アメリカ文学は非常に苦手なので困っていたのだが、普段から、しっとりした文章や、ヨーロッパの伝統の染み込んだ文章に慣れている者に…
”近代文学”だけでなく、”日本語も亡びる”のかと少し疲れてしまうが、ほぼ現実の事のようだ。 昔の白黒の日本映画などを観ていると、”東京物語”の原節子さんの言葉の美しさや、浅丘ルリ子さんのモダンでカッコ良いおしゃべり言葉に驚く事があるのだが、これら…
秋葉原で行われた、文学フリーマーケットで行われた方達の、全部の同人誌が、一冊にぎゅうぎゅう詰めにされて、出版されたようだ。 同人誌の得点では、対談や、インタビューなどを試みた、雑誌としての面白さが、重視されたとの事で、インタビューなどを載せ…
クレオールというのは、おもにカリブ海流域の島々の人々の事をさすらしいが、ここで述べられている、クレオール主義というのは、文化を規定する”土着性””伝統””人種””民族”などの概念が示す正統性や、純粋性といったものを、不採用にするといった事であるら…
柄谷行人氏の著作”近代日本文学の終わり”に呼応するような形で書かれた、かなり学術的な論文であった。 現代では、もう近代文学を視野にいれた批評を書かれる批評家は、もう柄谷氏しか居ないであろうと思っていた矢先に、氏自身から”近代文学の終わり”を宣言…
1984年頃の有名な浅田氏の著書であった。 ドゥールーズの”逃走線”は、浅田氏が軽く仰ってみせたように、”逃げろや、逃げろ”と言う意味で大体間違い無いようであった。 しかし問題は、やはり、最初から逃げてどうするんだとか、素朴な絶望感を感じる所などだ…
やっと、なんとか読み終えた。 シンドバッドの千夜一夜にタイムスリップしたような話と、現実のアメリカでのヨットを楽しんでいる話とが、交互に繰り返される、異常に長いお話であった。 この異常な長さは、当時日本でプルーストなどが、訳されていたりして…
北田暁大氏の ”スノビズムの純化”という事と、東浩紀氏の ”動物化するポストモダン”と言う事は、北田氏のおっしゃるには、決して”相反する事ではない”との事であったが、素人の僕には、全く対立する考えのように思えてしまって、少し悩んでしまった。 東氏の…