日本語は亡びるのか  ユリイカ

osamuoh2009-03-27



近代文学”だけでなく、”日本語も亡びる”のかと少し疲れてしまうが、ほぼ現実の事のようだ。



昔の白黒の日本映画などを観ていると、”東京物語”の原節子さんの言葉の美しさや、浅丘ルリ子さんのモダンでカッコ良いおしゃべり言葉に驚く事があるのだが、これらは、主にすべてのセリフに”丁寧語”が使用されている為と思われるが、そういった言葉使いを現代に要求しても無理かもしれない。



あと、せっかく大学まで行くのなら、外国語を勉強するのは当たり前と思われるので、日本語が外国語化しても仕様が無いかもしれないと思われる。しかし、夏目漱石や鴎外氏などが、日本語として使用したのと違って、味わいが薄れていくような気がするのは何故だろう。



言文一致とは、”話し言葉”と”書き言葉”の一致を目指した運動と思われるので、現代の日本語に、コンピュターや、ゲームの影響を受けた、機械的な言葉が氾濫するのも仕方が無いのかも知れない。



コンピューターにしろ、ゲームにしろ、こういった物が、亡びの元凶と思われるのは頭が痛い。もう少し昔にはテレビがあるだけで、文学、教養の敵と叫ばれていたので、当たり前かもしれない。


美しい日本語を守るのならば、”日本の古典を勉強”するしか無いと思われるが、こう考えると、妙にナショナリズム主義者と思われそうで困るし、現実生活を見渡しても、かなり無理な事のような気がするので気持ちが暗くなる。