思想地図 No2 ジェネレーション特集
北田暁大氏の ”スノビズムの純化”という事と、東浩紀氏の ”動物化するポストモダン”と言う事は、北田氏のおっしゃるには、決して”相反する事ではない”との事であったが、素人の僕には、全く対立する考えのように思えてしまって、少し悩んでしまった。
東氏の仰る思想に、何とか准じようとあえて古いフィルムや、古典的と言われる作品などは、なるべく遠ざけて、封印しようとして、頭を抱え込んでいたのだが、
それでも、どうしても悩みが吹っ切れないので、全く反対の対処療法として、あえてウンザリするくらい、古いフィルムや、古典的な作品を見続ける事にしてみた。
そうしたら、いとも簡単に、その反動化が起きてしまって、東氏の仰る、”未来を志向する欲望”というものが、ふつふつと頭をもたげて来てしまった。
自分の幼稚な嗜好性にあきれてしまうが、これを、論理的には、”日和見”というのだろうか。どうも僕の論理には、”整合性”というもが無いので、イヤになってしまった。