偶然性・アイロニー・連帯  リチャード・ローティ 著

東 浩紀氏の著作の参考文献に入っていたので読んでみた。


僕の幼稚な読解力では、ちゃんとと理解したとは言い難いが、単純にタイトル通りになぞってまとめると、カント・ヘーゲルマルクスなどの論理の”公共性”の正しさと、その正しさゆへに、ニーチェフロイトプルースト、などを志向する詩人肌のポリシーが、その論理の正しさゆえに、”詩人”として、悩ましきアイロニーを感じる。(詩人は基本的に極度の個人主義者であるから) その詩人のポリシーを持って、どう”連帯”するかといったようなことが述べてあった気がする。


月並みに考えて、プルーストニャンが集まるとなれば、それこそ王宮の舞踏会風になってしまいそうでちょっと面白くなさそうだが、著者は確かアメリカの人であるから、詩人風の人々が町をデモ行進するとなると、ちょっと興味をそそられる。想像してみただけでも、ちょっと可笑しい。


しかし、そんな甘い話でもなさそうで、実際、ホロコーストや、貧困や暴力の事なども視野にはいっているようで、恐ろしさも感じた。


”おたく”や”ひきこもり”の典型的な図式として、オタクやひきこもりの心情(病状)としては、あなたたちが正しいのは解っているから、”たのむから今はそうっとしておいて下さい”という典型の図式が重い浮かぶのだが、そういった気持ちはどうしたら良いのかは、解らなかった。連帯は難しい。