根源の彼方に、グラマトロジーについて  ジャック・デリダ 著

                      1972年 現代思潮新社 刊、


本書では、ソシュールフッサールハイデッガー、レビイ・ストロース、そして東浩紀氏が仰っておられた、ルソーなどが引用されて、論じられてあった。特にルソーについては、ルソーの時代まで遡ると、ルソー氏の疑問などが素朴な為、少しは理解しやすいような印象を受ける。


デリダ氏の述べておられるのは、言語における、”差延”、”痕跡”、”エクリチュール”、”代補”、などの事などがのべられているようであった。


浅い理解力で情けないが、音声の代補の役割と考えられていた、エクリチュールというものも、その言語の根源にはエクリチュールの痕跡が、すでに刻まれているということを証明しようとしているらしい論説のように思われた。あまりに根源の奥深く考察がなされているので、なかなか理解しがたい。


なお、ルソーの告白について、代補としての、自慰行為は、肉体を滅ぼし、破壊する行為であるから、非常に有害であるとデリダ氏は述べておられた。これは本論とはあまり関係の無い言説なのかも知れないが、ここらへんは、快楽有効活用的なフーコー氏の言説と少し違うようだ。本論となんの関係もないことだが、デリダ氏は禁欲を奨励しているタイプの思想家なのだろうか。くだらない事だがちょっと気になった。