声と現象 ジャック・デリダ 著
1970年 理想社 刊、
まず、西洋哲学の世界では、既に、言葉に対する音声中心主義というのがあったという点からして、感心してしまった。うる覚えの成り行きとしては、哲学の祖たるソクラテスや、宗教のキリスト、仏陀などがすべて、本人が文章、言説を書き残したのではなく、文章で残したのはそのお弟子さんたちであるという、そうしたことなどから書き言葉より、音声のほうを重視するという、雰囲気のようなものがあったと、どこかで聞いたことがある。
デリダ氏のいうエリクチュールと言うことを、どのように理解すれば良いのか、僕の読解力では、ちょっと理解が足りないのが残念だが、辞典によれば、
”純粋な起源と考えられていた”声”において、すでに自己を自己から分かつはたらきである痕跡があると想定しなければ、いっさいの表徴=記号は成立しない、として、このような起源における分割と痕跡を”エクリチュール”と呼んだ・・・・・”
となっていた。
自己から常に差異しつづける、痕跡としてのエクリチュール。少し理解ができない・・・・・、