コードネームは紅い薔薇   勝目梓 著

               1983年 光文社 刊、

勝目梓氏は「暴力」と「性」を描き続ける。

あくまで、エンターティメントとして書いているのだから、あれこれ理屈づけるの烏滸の沙汰であることになっている。エンタティメントは面白ければ良いという事らしい。

一応、健全な若い男性と女性が、その若い肉体で健全に結婚すれば、それですべて事完結するのが、宗教的、社会的な常識である。

井家上隆之氏の解説によれば、

1、家族やら世間やら、つまりは「日常」にしばられれて、「市民社会」に埋没しているけれども、それだけにこころの奥にどす黒いものが沈潜している。それをワーっと表面化したのが、セックス・バイオレンスだ。

2、読者はセックス・バイオレンスによって、己の日常を、「社会の公序良俗」を突き破り逸脱した気分になる。

3、「性」と「暴」力の二本柱によって「現状保守的状態」を一気に逸脱しようという試み。

4、教育やモラル、思想などに管理されず「感性」だけで行為する人間たちの、愚かしくグロテスクに見えるその姿こそ、人間の原型なのだと見極めている。

5、私たちが超えようとして超えがたい「社会の枠」を、「性」と「暴」力を梯子にして一挙に超える人間。

6、このような行為は当然、「愚かな事」に見える。だが、こういう衝動こそ、アクション小説を流行らせている時代の精神である。

7、決して理性的ではなく、まったく「感性的」である。感性の奔るままに行動することは、モラルや慣習にてらして愚かしいことであるが、愚かしいからこそ人間なのだと、勝目梓氏はそういう男と女を愛しんでいる。

ということらしい。