水死    大江健三郎 著

        2009年 講談社


大江健三郎氏の創作の特徴として本書では、

”基本的には語り手=副主人公が・・・・・時には主人公である人物すらが・・・・みな作家自身に重ねてある。それはやりすぎじゃないの?小説らしい小説と受け止められるだろうか?
一般的いって、小説らしい小説を読みたい読者を取り込めない。どうしてこのように、世界を狭く限られるですか?

自分はどうしてこういう隘路に入り込んだか、このような書き方でなければ、書くこと自体を維持できなかった、つまり狭く自分をかぎるほかなかったんだ、と思い当ってね。”


と登場人物に語らせてあった。この微妙な等身大の作者に近い感じが、前から随分と気になってしょうがなかった。



あと、この小説ではほとんど会話と語りの区別がなく、いろいろな人物が”私は”と語りだすので、いったいどれが主人公の語りなのか解らなくなるほどであった。これが、バフチン流のポリフォニックな小説のきわめて直接的なスタイルであろうかと思われた。