たかがバロウズ本  山形浩生 著

osamuoh2009-11-04



2003年頃の著作。


バロウズ氏の使った有名な手法として、”カットアップ”とういう事が解説されていた。



カットアップ”の方法としては、

 ”まず短い文章を自分で書く。それを切ったり折ったりして、適当に並べてみる。そしてその中で、おもしろいフレーズ、ちょっと気の利いたフレーズっぽいのができたら、それをひっぱり出してきて、どんどん並べていく。そしてそれをさらにまた切って折って並べ替え・・・・そういうプロセスをたくさん繰り返すことになる。”


といった方法になるようだ。


小説全体としては、断片的なストーリーを配して短いエピソードの集積を作ることで、ストーリーによる支配を脱しようとするスタイルで、そうした断片的なストーリーの端々に、”カットアップ”の文章が散りばめられているようだ。


カットアップの思想として、

 ”言語の文脈を破壊することで、人が支配から逃れるようになる。言語そのものを、処理して作り替えることで、人々が既存の言語中毒から逃れるツールに仕立て上げられる。その作り変えがカットアップなのだ、そいうこと。”


という事になるらしい。


しかし、著者は、バロウズ氏の”カットアップ”は、”淋しい失敗”であるというふうに位置づけておられる。科学的、数学的分析により、読者が、気に入るようなフレーズに読み当たる確率が、あまりにも少ないという事を述べておられる。


絵画の”コラージュ”にくらべて、小説はあまりにも遅れすぎている、という事から、始まった”カットアップ”の試みであるが、文章で成り立っている、小説という形式では、コラージュという事は、あまりにも無理な事のようだ。・・・・・・残念!