物語論で読む村上春樹と宮崎駿   大塚英志著

osamuoh2009-07-20




大塚氏が、(日本では無い)、海外の民俗学、神話学などを駆使して、村上春樹氏の作品を分析しておられた。



非常に、ピッタリと当てはまり、カッコ良いのだが、ちょっと気になったのが、大塚氏は、村上春樹氏が、そういった民俗学のような方法論で物語を書いていると、”強く断定”していることだった。僕のような素人にはそのような事情は解らないのだが、村上春樹氏ならば、”僕はそんな民俗学なんて知りませんよ”と仰りそうな気がして仕方無い。民族学と言っても、大塚氏の仰っているのは、最新の海外の民俗学で、スターウォーズのルーカス監督などが、それらを徹底的に研究しつくしているといった事などは、随分とありえそうに思えるのだが、村上春樹氏の事となると、つい首を傾げそうになってしまう。




村上春樹氏の事で驚いたのは、あの早川書房で有名な、ミステリーやホラー、ファンタジーなど、世間では”高級文化”に対してて、”下位文化”とされているようなアメリカの小説だけを読んで、決して、日本の近代文学などは手を出さない、読まないといった、徹底した姿勢のようなものです。なにが悔しいかといって、逆にそのほうが”知的にスノッブ”ではないかと地団駄を踏んだ事を覚えています。



しかし、僕が村上春樹氏を読んでいたのは、ドロドロした日本文学の中で、ただ、一服の”清涼飲料水”として読んできた事は確かです。だから、今のようにノーベル賞候補になっているとか、世界で非常に評価が高いといった事は、まったく予期していなかったので、僕の読みの甘さを痛感しています。