円環的な有機構成

osamuoh2007-01-25

マトゥラーナ氏とウ”ァレラ氏というかたの”オートポイエーシス”という著作。

もうどこの書店にも在庫が無く、出版社や、古書店にさえ、在庫が無く、まさに”奇跡的”に入手することができた、幻の書物であった。今もって、どうして、手に入れる事ができたのか、自分でも良くわからない。


オートポイエーシスを正確に日本語に訳せば、”円環的な有機構成”という事であるらしい。


この書物の人気は、要するに、人間の”生命学的分子構造”は、すべて、オートな”マシン”、”機械”であると、主張した点にあると思われる。まさに、いまの、コンピュターの発達した、テクノロジー社会において、君も機械、マシーンになれるのだと、逆に、励ましているのである。何をいまさら、ロボット人間か、と白ける若者も、多いと思われると思うが、これはしょうがない。

人間として、何が困るといって、人間の”再生産”の点だ。僕などは、どしどし、自己再生産すれば良いではないかと、鼻白むが、重要な点は、あくまで、自己の再生産で重用なのは、自己のコピー、複製が、進化において行われるという点にある。宗教的に訳せば、自己の子孫を残し、育て上げるという点において、初めて、コピー、複製が行われたと言える点だ。


僕らや、若者が困るのは、この点である。せっかく開かれた、生物化学や、細胞分裂のお話を期待しながら、個人単体のセックス処理は、単に、単位生殖にすぎず、コピー、複製、進化が、マシーンとして、完璧に行われたとは言えない事である。機械好きな若者が、逆に、それでは完璧なマシーンとは言えないと、逆に、説教されたようものである。


森岡教授という方が、辛気臭く言えば、精液が体からあふれ出て処理に困るというのは、科学的には間違っており、それらの分子的細胞は、すべてからく、すみやかに、体内に吸収され、すべては、完璧に閉じられた、円環であるということを、おっしゃっておられた。おまけに、すべての体内細胞は、15日くらいたてば、すべて完璧に入れ替わってしまって、15日後には、完全な別な身体に生まれ変わっているというのである。

歳をとれば、衰えるであろうというのも、これらの考えのなかでは、ある意味、言い訳であるという事である。

しかし、そのような、オートなマシンであるはずの僕のような人間が、こうも機械的でない失敗ばかり行ってしまうのも、頭が痛い。まさか、人間だからで許されるとも思われない。

シュックであった。