社会システム論

osamuoh2006-10-14

ニクラス・ルーマン著の”社会システム論”という著作をやっと読み終える。

昔の学者さん達が、マルクス史観をもとに労働者を語っていた事を思うと、ルーマン氏の理論は、随分とカッコ良く、スマートになったものだと、つくづく痛感してしまった。”システム”なんていう言葉が前面に出ている事など、随分尖っていて、シャープではありませんか。

ピカピカのオフィスビルで、スマートにビジネスする人々に、まさにピッタリであるなあと関心してしまった。

理論の核心は、なんといっても、社会というものの定義が、”コミュニケーション”そのものに据えられている点にあると思われた。そこでは、もはや、人間は社会の中には含まれず、純粋に”コミュニケート”だけが、社会というものを構成するといったように理解された。人間は、そこでは、社会の”観察者”といった位置づけになっていた。

そうはいっても、素人の僕の浅読みであるから、読解力は非常に怪しい。

極端に考えれば、とにかく、人の迷惑も考えず、一日中携帯電話で話し続け、一日中パソコンで遊びまくれば、それこそルーマン理論の、”優等生”という事にもなりかねない。

誰も、そのような事は、仰っておられないが、現代のシステム状況を思い浮かべれば、つい、そんな事を考えてしまう。

サルトルは、昔、”疎外”という事を述べていたが、やはり、僕などは、考えてみれば、一日中誰とも、話などしておらず、まさに、孤独な”独居老人状態”である。人々の楽しそうなコミュニュケーションを、陰で羨んでいる、危ない老人だ。まさに前世紀の古い人間であるようだ。残念。