フリアとシナリオライター  マリオ・バルガス・リョサ 著

               2004年、国書刊行会  著、


魔術的リアリズムで、60年代に有名になった、ラテン・アメリカの著作群のなかの一作だが、確かに、手法が常に斬新で、前衛的、ピカソのフォルマリズムの実験のような秀逸な作品ばかりなのに驚かされた。

本書で、
”「変化こそが喜びの源泉なのだよ、・・・・・・そのためには、類似的したストーリーよりもむしろ対照的なストーリーを並べることが重要だ。状況、テーマ、登場人物が完全に異なることにより新鮮な感覚が強化されるからだ。」”
”前衛芸術や実験的な手法・・・・・物語の途中で登場人物の人格を変え、プロットのつじつまを合わせないようにして読者に絶えずサスペンスを味わわせるといった試みでヨーロッパにセンセーションを巻き起こした・・・・」”
と述べられているとおり、マジックリアリズムの作品は、常に実験的な手法が試みられているようだ。


しかし、どうしても気になる事が、ラテンアメリカというお国柄のことであり、はたして人間が住めるところなのかと、少し心配になってしまう点だ。かっての中村真一郎氏が、当時の事として、”ラテンアメリカの文学は素晴らしく、それに比べればアメリカの小説を読むことは、ひとつのファッションでしかない、と述べられておられたようだ。僕は、この言葉に非常な引っかかりを感じてしまい、少なくともアメリカ小説は内容はともかく、”オシャレ”なのかと、ゲスの勘繰りで頭が一杯になってしまい、それではラテンアメリカの小説はオシャレではなく、一応田舎者風であるのかなと、氏の指摘を裏の方向に推測してしまった。


ラテンアメリカの経済は、ほんのひとにぎりの高所得者と、大多数の貧困層から成っていると噂に聞く。素晴らしい、素晴らしいとただ手放しで喜んではいられないような、ちょっと絶望的な問題を、その作品群のなかに含んでいるように思える。悩ましい・・・・