演劇と形而上学 アントナン・アルトー 著

       1963年 白水社 刊、

本書は、あの謎のアルトー氏の演劇論であるらしい。


本書では、述べられれている事が、詩的で哲学的な文章なので、意味を拾っていくのがとても困難だった。


アルトー氏ここでは、飲食し、排便、排尿するような肉体をひどく増悪している。当然肉欲による性交や、自慰行為もひどく軽蔑している。有名な”器官なき身体”とは、要するにこのような人間的な作用する身体機能すべてを否定しているかのような論考であった。いわゆる、磔にされたキリストこそ自分であり、神のようなような身体こそ至高のものであると言いたいのだというように理解された。(しかし、アルトーバチカン法皇にひどい悪態をついた罵声の文章も書いており、キリスト教も否定している)。


そのような”器官なき身体”でもって演じよと仰っておられる。
技術的な事として、俳優は台本のセリフの奴隷では無いとし、身振り、動作、行動で表現せよと述べておられる。テクニックとして、常に”呼吸”を意識しながら表現せよと述べられてあった。

どのようなものかと不思議に思われるのだが、そう言えば”ゴダール”の映画は、まるで台本が無いかのようであり、俳優のシュー、シュー言うような、息遣いがやたらと撮られており、いつもハッとされるのだが、それは俳優の精神の意識が深まっている為らしい。


しかし、このようなアルトー氏の論理も、常に麻薬を常習し、精神病院に入れられ、繰り返し電気シュックを受け、見るも無残な老醜をさらした姿を見たりすると、誰も信じられないと思われる。しかし、ドゥルーズや、デリダが盛んに取り上げているので、気になってしょうがなかった。”器官なき身体”と云われ、”身体”とは何だろう、”顔”とは何だろうと精神のブラックホールに陥りそうな時は、生物はオートポエーシス、円環的有機構成から成っているのだという、医学などの常識を思い起こせば良いと、ドゥルーズ氏は述べておられたようであった。


そもそも、資本主義が”機械の身体”を要求しているのだから。