ミル・プラトー

osamuoh2008-01-29

まるで、インディアンか、カーボーイのような、ふざけているかのようなお姿だが、これが、ドゥルーズ氏の風貌だ。


世界が、”欲望”で渦巻いている、狂気(分裂症、スキゾ)のような、人間を殺しかねない、”資本主義”というものの”自由”を選択したのならば、人間はどのような道をたどるのか? といったような疑問に、ドゥールーズ氏の論考は、恐怖のような文体でお考えになっておられたようだが、今現在をふと思い浮かべると、ドゥルーズ氏の思想は、まるで、”アルカイダ”擁護の思想になってしまうので、驚いた。少し読む時代が、遅すぎたのかもしれない。


人間の”逃走線”として、”遊牧民族”的生き方の重要性が、何度もでてきて、ドゥルーズ氏は、それを”ノマド”と呼んでいる。


遊牧民族的生き方とは何だろうと、僕なりに色々考えてみるのだが、どうもあまり良い考えが浮かばない。
お金の心配がいらないのなら、放浪や、旅、など色々ありそうだが、卑しくも、資本主義に対抗して生きるならば。やはり、お金が稼げないのでは、あまり、現実的ではない。


大きな商社のビジネスマン、これなら、世界中を飛び回りながら、仕事ができそうだ。しかし、残念な事に、そのような仕事が出来るとは、とても思えない。残念。


寅さんのように、旅をしながら、商売をするというのは、有名だが、現実的に、旅先で商品が売れるという保障はどこにもない。当たり前ですね。そう簡単にシノギが出来るわけが無い。


やはり、僕にできる遊牧的生き方とは、せめて、散歩するぐらいしかできそうにない。


それと、これは、関係無い事かもしれないが、ウィリアム・ギブソンは、コンピュータする事を”スペース・カーボーイ”と呼んでいた。全く動かなくても、カーボーイですかと、不思議であったが、絶対進入する事のできない、国家のサーバに、ハックしたりする、いわゆる、犯罪ができるくらいの、技術が無いと、カーボーイとは呼ばれないらしい。


残念・・・・・・・・・