ノマド・遊牧的・逃走ということについて

osamuoh2006-08-20

 ドゥルーズの”千のプラトー”の一部分を読んだ。

 ”1227年 遊牧論あるいは戦争機械”  というくだり。

 ノマドと言う言葉がかなり有名であったから、どんなに華麗で、過激なノマド的スタイルの生活になるのかと思っていた。まさに世界中を飛び回る、スーパースターか、エリートのような生活の事ではないかと、随分永い間思っていた。


 しかし、結局、結論的ノマドイメージとして、ドゥルーズ氏は、”職人”的生活の事を仰っておられる。眼を疑った。穴倉や、地下室のようなうんざりするような鬱陶しい場所で、鉄を懸命に叩く、”鍛冶屋”さんのような生活が、ノマドであると仰る。参りました。ただの僕の読み間違いかもしれないが、そのような緻密な作業をとおして、常に、流動するミクロの世界を感じ、いわゆる”脱構築”、”最領土化”できないとダメであると言う意味に解された。


 ただの読み間違いで、本当は、エリートか、スーパースターのような派手な生活の事かも知れません。