石川淳 普賢

osamuoh2006-08-10

石川淳氏の”普賢””山桜””曽呂利 ””張伯端””葦手”の一連の短編を読む。

”軽妙な話体”による”ファルス”の領域を切り開いたとして有名なようだ。

 ”ファルス”とは、笑劇、道化芝居を意味し、誇張や品の悪さを恐れず、一途の観客の爆笑を得ることを目的とした喜劇。フランス中世の民衆の間に生まれたと、辞書に記されてある。

 日本の文学では、”戯作”風という事になるらしい。戯作といってもあまり良く解らないが、江戸時代の滑稽文学の事らしい。世間から遊離した位置から観察批判し、読者へのサービス要素の媚と、文人としての誇り、卑下と高慢の合致した”卑下慢”という戯作者のスタイルと言うことになるらしい。

 当然、当時のプロレタリア文学の、簡潔で解りやすいルポルタージュの文体の影響も感じられて、独特な雰囲気が感じられる。もともと、太宰氏や、安吾氏の無頼派的な作風なので、暗く、貧乏で、グロテクスな描写が多いが、何故か最後には、気味悪さを通り越して吹きだしてしまう。

 結局、文体としては、今でもかなり新しいのではないかと思われた。
 しかし、すべての作品の題名の如何にも辛気臭そうなイメージは、これもひとつの笑劇精神かと思われた。中味は吃驚するくらい新しい。