キャラということ

osamuoh2006-07-13

 ”新庄カズマ”という方の”ライトノベル超入門”と言う著作を読んだ。

 書店に行っても、”ライトノベル”というジャンル分けは存在しないので、探すのが大変だ。
古い時代の言葉でいう、少年少女小説と大人の読む小説の中間的なジャンルらしい。

 ライトノベルで問題なのは、なんといってもその”キャラ”と言う言葉だ。


 character と言う語源を正確に訳すと、”人格””品性””特性””登場人物”という言葉の意味になる。

 ライトノベルで興味深いのは、その厳格にして神聖なる人間の”人格”というものを、バラバラに”分解”し、その部分、部分を”パターン”として、自由に、”機械的”に”組み合わせ”る事が可能であると言う点だ。

 神聖なる人間の人格というものをどう考えているのだ、人間への冒涜だという事になるが、ライトノベルは、まるで、オシャレを楽しむように、人格、個性というもの自由に組み合わせて、造形して楽しむことが出来る。

 これは、考えかたを変えてみれば、そんなに深刻に悩んでばかりいないで、気持ちを、少し変えて考えて見ろよ!、といった、ある意味、仲の良い友達の励ましとも受け止められる。”心”、”精神”が自由に組み替え可能ということは、科学的に考えてみればある意味、画期的な事だ。

 人格と言わず、キャラ、キャラと盛んに言われているのも、無理も無い気がする。考えてみれば、アイドルさん達の仕事などを考えてみれば、それはもはや”仕事”だと言う事に思いあたる。その他に、工場、会社などの”分業化”された、お父さんお母さん達の仕事の大変さを、もう少し考えろと言うこともありえる。大変だ。

ちなみに、僕の場合は、男の子言葉で喋るアニメの女の子のパターンのキャラに、妙に弱いようです。変態でしょうか?


 蛇足・・・・・しかし、着せ替えなどのコンピューターゲームなどは、子供さん達は、傍から見ていて、あまり楽しげでは無いらしい。楽しむと言うよりも、真剣そのものであるらしい・・・・・・・・・・