ドゥルーズとの格闘

ドゥルーズの”アンチ・オイディプス”と格闘中。

器官なき身体   個々の器官とを統一する高次の次元としてのオルガニスムの否定した身体。
しかし、これは現実には存在しない身体 という解釈。

フーコーの”性の歴史”を読んで、”自己への配慮””自己制御”という言葉があったのだが、僕はこれを、自慰行為によってのコントロールも入りえる事という解釈になってしまって、良い歳をして恥ずかしいかぎりなのですが、大学のプロフェッサーの講義によると、フーコーが言おうとしたのは、その”権力構造”と、”社会制度”の事である点を強調しておられた。”自慰行為”、すべての”性行為”は、”反権力”にはなりえないと言うことが、重要だとは、僕も確かに読んだのですが、しかし、自己の責任においての自慰行為は”自己制御”する事にはならないだろうか? 良い歳をして、こんな恥ずかしい事で申し訳ありません。サド・マゾッホバタイユ と読んできて、人間の”生理”はとても制御できるものでは無い、という恐ろしい思想に取り付かれてしまい、困ってしまいました。残念。